なぜそんなに急ぐのか?
なぜ待てないのか?
理解すれば、八つ当たりされるストレスから少し解放される?されたらいいなぁと期待を込めて。
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なぜそんなに急ぐのか?日本人急ぎすぎ問題
インフラの整った日本では、電気や水道が止まったりすることは、大雪や台風、非常事態の時にしかおきない。
交通網も基本的には時刻通りに運航していて、電車は事故でない限りは、遅れていると気づかないほど精確。
都心部なら乗り入れも多いので、別の鉄道各社へ乗り換えて回避できる。次の列車は数分後に来る。
バスは、唯一道路状況に左右されるので数分の遅れは想定内としても、待たなければバスを諦めてタクシーに乗る事もできる。
停電でインターネットが繋がらない経験も、夕飯の支度ができない経験も、平時には起きない。この様な整った環境で育ち、これが当たり前として生きてきた現代の日本人にとって、待ち時間というのは大変苦痛なのだろう。
この便利すぎる環境が故に、せっかち・待てない・すぐ怒るという性格の人を増えるきっかけになっているのかもしれない。
1901年初版の国木田独歩の「武蔵野」の中では、
道を聞いて、鷹揚(のんびりした様子)に教えてくれる人に対して
怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖であるから。
とある。
100年前からすでに、都心部の人は怒りっぽかったことが分かる。
当時の武蔵野がきっとそうであった様に、都心部、中心都市から離れたら、その土地と人に流れる時間の速さは全く違う。
自然を相手にする職業を生業とする人も多かったはずで、悪天候で仕事にならない日が続いたり、現代よりも天気や季節に左右される職業が今よりも多かったはずです。
仕事にならないその間、決して暇を持て余していたわけでなく、道具の手入れや整理、備蓄の管理、副業、仕事ができない代わりに、普段できない雑多な事に手を入れる時間でした。
自分の生家もそんな自然を相手にする家業であったため、待つ時間の使い方を自然と教えられて育ったのかもしれません。
待つ時間を苦痛・ストレスに感じない、ゆったりと過ごす時間感覚と暇を潰せる能力が養われたのかもしれない。
中島らもの「今夜、すべてのバーで」の一文は、暇を潰せる能力を教養と表現しています。
「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。
大げさな様に感じるけれど、テレビもスマホも本も手元にない時、見るものや感情に思考を巡らせて一人で時間をつぶす。というシチュエーションすら、現代では自ら作り出さなければありえない時間です。一人で時間をつぶせる能力が教養とまで言われ、さらに多くの人が共感するのはこの時代ならではなのかもしれません。
待つのが当たり前の環境で育った人・待たされる事が殆どない環境で育った人
怒りっぽい人間になりやすいのはどちらか?
遺伝や元からの素質は考えないとして、社会学の専門家でなくとも、きっと後者だと想像できる。
では、時間の使い方が上手いのはどちらか?
これも、分・秒単位で動きスケージュールを組む後者の方が時間を使いこなしている様に思えてしまうが、
予定通りに時間を使えないとき、突然できた空き時間(暇)を有意義に使う事関しては、前者の方が上手い様に思えます。突然の空き時間の度持て余してイライラしないメンタルも持っているのですから。
場所と時間の感覚
沖縄はよく時間にルーズと言われますが、沖縄に限らず「武蔵野」に登場するような地方で暮らす人も同じと感じます。
「田舎者は待たされても黙っている」
ということを言われた事があるのですが、そもそも待つことを損と考えていなかったり、初めから待つ覚悟ができていて、他の事に集中し、考えて意識が別のところに向いていれば、待っていたことすら忘れていることもあります。
しばらくして「そういえば、まだですか?」といった具合に。
だれもが同じ24時間を生きていても、時間がゆっくりと流れる人と場所、秒単位で急ぐ人と場所があり、
旅行ならリゾートとシティでは、目的も行動プランも別物な様に、エリアが違えば見るものもルールも人柄も違うと言ったことが起きるのだと思います。
しかし「郷に入るは郷に従え」は、同じ国内では通用しない時代になりつつある様です。
待たせてはいけないという同調圧力
待たせてはいけないという同調圧力が、自分の管理の及ばない他人や自然現象にまで及び、そして何故か長引かせる事は悪とされない傾向もある。
仕事や会議、待ち合わせの時間は、時間通りどころか「15分前に出社」「5分前集合」が良いとされるのに会議は長引く。残業は当たり前、ゲストを長く留まらせようとあれこれ努力するのは、迷惑に感じる人もいるのに「おもてなしの心」として分類され、批判の対象にはなりずらい。
「大切な人を待たせては悪い」というのは分からなくもないのですが、自分が大切な人、特別な人として扱われることを当たり前と感じている人がいる事が、自分には不思議でなりません。自分の属している組織を出れば多くの人は要人ではなく普通の一般人でしかないのに。もしくは「お客様は神様」を一般常識と思っているのでしょうか?
エスカレーターで片側に寄る。
エレベーターで閉めるを連打する。
というような日常の当たり前になっている行動に無意識に染みついた、待つのが苦手、人を待たせるのは良くないう感覚、待てない人からの怒りをぶつけられることへの回避行動として滲み出ている様に感じます。
待てない・すぐに起こる・暇を持て余すのは、現代人の特徴。
あなたの回りにすぐにイラついてしまう人はいますか?
乗り物の待ち時間、ちょっとした道路渋滞、レジの前の人がもたついている時間、料理の提供時間、お店の行列、人通りの多い道、暮らしの中で待つシチュエーションは数えきれないほどあるのですが、それぞれ理由があり、誰か特定の人を責めてもどうにもならない状況も多いです。
待てない人は、自分が待たされることに反射的に怒りを感じてイラつきだしたり、流れを止めてしまった人に対して怒りを露わにするのですが、自分はそのイラつきに、イラついてしまうタイプです。
一緒に行動を共にしている相手が、ちょっとした待ちにイラつき始めたらこう言います。
「この後急ぎのようでもあるの?」
ただの我儘ですよね?という思いを込めて嫌味っぽく急ぐ理由を問うのですが、本人が根本が変わることはありません。
「黙って待て」という自分の価値観を押し付けているようですが、自分以外の全ての人も同じように順番を待っている状況で、まるで自分は特別な例外の人であるかの様に主張していることへモノ申したいのです。
待てない・すぐに起こる・暇を持て余すのは、現代人の特徴。
「この人は都会っ子なんだ」こう言い聞かせて自分の中で納得することしか、今のところ良い方法が思いつきません。
いくつか読んだアンガーマネジメント系の本には、そんな人と一緒にいるのをやめる。という根本解決方法が大前提として紹介されています。最終的にはそうなるのでしょうが、今は折り合いをつける最善の方法を模索中です。
ちなみに、付き合いたての二人がディズニー行くと別れるとよく言われますが、個人的には付き合うか迷ってるくらいの時期から早めにディズニー行って、その後付き合うか決めるぐらいで調度いいと思います。
ただし、自分が怒りっぽいと自覚している人は、好意を持つ相手の前でその性格を隠すテクニックを持っているので、一回のDisneyでは本性を現さない可能性はありますが…